懸念事案が発生!創作物を真似た犯罪が発生し原作が注意喚起を受けるという事態。これが小説だったら?かって小説を真似ねた心中が多発した事があるが原作者は注意喚起を受けたのか?議員で無いので詳細は報道からしか分かりませんが注視していますhttps://t.co/zmSLFW3opQ
— 山田太郎 ⋈(参議院議員・全国比例) (@yamadataro43) June 13, 2017
これは懸念していた最悪の事案です。真似た犯罪が発生するかも知れないと警察指導で自主規制が進む事態。議員時代であれば直接警察庁に問いただし真相を報道以外の角度から質しましたかがそれができません。どうか報道以上の情報があればください!殺人事件のない名探偵コナンの時代がやって来ます。 https://t.co/7l5DcKhreN
— 山田太郎 ⋈(参議院議員・全国比例) (@yamadataro43) June 13, 2017
これら二つのTweetに関連して、私の意見を書いておきます。
(1)今回、警察が作者に対して要請をしているようです。今後、表現の自粛等の影響があると考えられますが、どう捉えられていますか?問題点をご指摘いただければと思います。
まず、被害にあわれた方の保護やケアが最も優先される事が望まれます。その上で、創作物の作り手が毎回、この作品を作ることで模倣犯罪が起ったらまずいと萎縮する可能性があると考えています。
これまで小説などや映画で犯罪の手口の模倣を行なったケースは数多くありますが、それらは特に警察からの要請があったということを聴いていません。今回の創作作品は、広く公開されている小説や映画の類ではなく、未成年からも区分されて発表されたものと伺っています。
判断能力がまた稚拙な未成年(未成年の人は全て判断能力が稚拙というわけではなく、仮にということとして)が犯した犯罪ではなく、あらゆる判断能力を問われる成年犯罪です。作品を参考に犯罪がおこなられたと言っても、創作者に何を要請するのか?現行の創作物を回収することなのか、今後似た様な創作をするなと言う事なのか、その作家だけへの要請なのか、幅広く類似の創作物について自粛等を警察は呼びかけていくのか?全くわかりません。
いずれにせよ、創作物によっては問題になるという意識から創作物への自主規制は大きく進むと考えられます。特に作品の流通企業、テレビ局、映画配給制作会社、出版社など警察沙汰になってはマズイとメディアによる自主規制は強く進むものと考えられます。
(2)「犯罪の手口」に関する表現物の規制について、国内でどのような議論がありますか?海外で規制等はどうなっていますか?(ご存知であれば)
かって自殺マニュアルや麻薬に関するもの、裏社会に関する情報本が健全育成の観点から条例等により区分販売の規制が行われた事があるかと思います。海外での情報は持ち得ていません。
(3)その他、オピニオン等をご教示いただければと思います。
まず、事件による被害を受けた方の保護やケアが最優先されることを求めます。
そういう意味では、創作物がまだ、継続的にその被害者の方を苦しめているという場合は何らか取り除くための措置、それは規制よることを含めて直ちに実行されなくてはなりません。児童ポルノの単純所持やリベンジポルノの議論は、いくつかの問題を抱えているものの国会での法制化が進み、私も一定の支持をしてきました。
しかし、法的にも個人の判断能力で責任を取らなくてはならない成人の事件については、創作物がその犯罪の参考になったとしても、創作物の目的が事件の誘発を唆すものではない以上、罰せられたり、削除されるべきではないと考えています。 その創作物の影響によるあらゆる結果について懸念を発し最初からそういった創作物は作らない方がいいという視点は、創作物活動の萎縮をもたらします。
本件の作品の表現が比較的きついものであったことから、ネットの意見でもこの手の作品は取り締まるべきだとの声もあります。しかし、表現の内容いかんを問わず、全ての創作物は、その読み手に対して良くも悪くも影響を与えるものであり、悪いと思われるものも想像の世界で触れる事によって、善悪の判断の能力を育てる場合もあります。
昨今、刑事事件のドラマが流行っていますが、その多くは殺人事件を扱っています。犯人の様々な手口が描かれていますが、巧妙な手口で、また事件の解決が困難なものほど人気がある様に思います。だからと言って多くの視聴者は、その犯人が逃げ切れればいい、もっと多くの人がその犯罪者によって傷つくといいとは思っていないはずです。善とは何か、悪とは何か、単純ではありませんが、その作品から学び判断の力を高める事になるのだと思います。
これらを完全に規制で取り締まり、まるで犯罪などない世界だと描く事が世の中の健全な発展のために本当にいい事なのか考えるべきです。
創作物は、基本的にどんな表現も自由である。それは創作の発露は内心の自由だからです。しかし、その表現によって受け手が受ける影響については責任があることも忘れてはなりません。
今回は、創作物によって模倣犯が犯罪を犯したという微妙なケースですが、構造を考えれば創作者は、犯罪誘発を意図としていない事、創作物そのものによって相手が傷ついたのではなく、それを犯罪者が解釈して犯罪を犯したのであり、直接的な表現による相手への被害ではないケースです。
むしろ、その様な創作物に影響を受ける判断能力があるはずの成人側への教育などがよっぽど問題であることを、この事件の本質とすべきだと思います。
私は、表現、特にコンテンツ表現の自由については、これまでいくつかの重要な、懸念を持っていました。それは以下の点です。
1.青少年健全育成法などの法律でエロ、グロ、暴力などを含む創作物が法律で規制されること
2.2次元表現(実際に存在しない創造上の表現)が実在の人を元にCADなどにより限りなく3次元として描かれて境目が無くなること
3.著作権法が強化され、または曖昧な部分が恣意的に判断され、パロディや二次創作そのものが違法であると追い込まれること
4.創作物などの模倣犯罪などにより、創作物が原因であるとの指摘から、今後、犯罪に繋がるかもしれないと萎縮し自主規制がすすむこと
5.青少年の育成に影響があると、PTAやその他の団体からの指摘により萎縮し自主規制がすすむこと
6.刑法175条などの解釈により表現規制が強化されること
今回のケースは、そのまま4のケースでした。その他の懸念事項も実際におこっています。