■TV版エヴァの自主規制
社会現象ともなった庵野秀明監督の人気アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」の劇場版が、8月25日(月)深夜に民放局で放送されました。この放送は、テレビ局側の「自主規制」の名の下に編集された内容となっており、物語の中でも重要であろうシーンが削除されていたり、一部が黒塗りに変えられていたりと、深夜の放送に様々な物議を醸す内容となっていました。
■カットされたシーン、カットされなかったシーン
物語の冒頭に主人公の少年(碇シンジ)が自慰を行うシーンがあります。このシーンは後の展開にもつながってくる重要なシーンです。他には首や手が吹き飛んだり、エヴァの内蔵が引きずり出されるシーンはカットされたようです。一方で、14歳の少女(アスカ・ラングレー)の裸や、主要キャラ同士のセックスシーン、性器を模した画像などは編集されず、オリジナルのまま放送されたようです。
前者のカットされたシーンと、後者のカットされなかったシーンの決定的な差とは、一体何なのでしょうか。物語の重要な要素となるシーンや、アニメ全体のテーマを象徴するような重要なシーンを削り、逆に問題視されそうなシーンをそのまま放送した理由は何なのでしょうか。
こうした疑問だらけの「自主規制」に、視聴者からは「なんの為に放送したのか」と非難が殺到したようです。
■自主規制から法規制へ
「自主規制」とは、その名の通りあくまでも「自主的」な意思によって行われる規制ですので、テレビ局側の問題ですが、こうした「自主規制」という行為が業界の中で、「標準的な動き」、つまり「規制をすることが当たり前」という流れを作ってしまうのではないかと懸念しています。
そして、そのような「自主規制」が当たり前になることで、法律(青少年健全育成基本法や児童ポルノ禁止法など)により表現の自由が縛られる世界が、より私達の生活に近づいてくるのです。
前述した表現を規制する法律は、テレビ局の「自主規制」と同様で、まだまだ曖昧で、表現規制に対する明確な理由や目的、方向性が定まらぬまま、あたかも”規制をすることだけ”を目的とするように、現在施行への動きが進められているように思えます。
こうした私達の身近な文化や生活に密着した”社会秩序を規制するような法規制”については、”誰か直接的に被害を受けているものを保護する法規制”よりももっと慎重な議論がされるべきだと、私は考えています。
世界では「ジャパニメーション」と呼ばれるほど、日本のアニメは評価されています。
自分たちで生み出した素晴らしい文化を、自分たちの手で黒塗りにしてしまわないように、不当な規制には断固として立ち向かっていきたいと思います。